1916年(大正5年)の富士登山記の須走口馬返しの記述には「松の混じった潤葉樹林で小鳥の種類も非常に多く富士山麓中一番であり、日本全国有名である。」(和田嘉夫編 「昔の富士登山」より)とあります。

「富士山麓地方の鳥類」(昭和6年2月)内田清之助 下村兼二共著より
富士山に於て発見せられたる鳥類・・38科176種(留鳥7、漂鳥56、夏鳥50、冬鳥45、族鳥16、迷鳥20種及び亜種)
繁殖する種類・・32科116種及亜種の多きに達して居る。
富士山麓に繁殖する鳥類の種類及び数の豊富な原因
(1)繁殖地としての森林及び草原の面積極めて広大なること
(2)原生林の多いこと
(3)気候、地勢及び植物生態の変化に富むこと

第一回探鳥会

 1934年(昭和9年)、中西悟堂の呼びかけで富士山須走口で日本最初の探鳥会が行われ、柳田国男、北原白秋、金田一京助、春彦親子などが参加しました。これが日本の自然保護運動の始まりといわれます。

日本野鳥の会第一回探鳥会 中西悟堂「野鳥と共に・普及版」より (使用許諾済) 

戦中、戦後の木材需要と高度成長期の拡大造林政策などで富士山でも天然林の多くが失われました。1971年(昭和46年)発行の「富士山(小川孝徳著・朝日新聞社)」には「見事な天然林が次々と伐採されている。特に落葉樹の多い西・南麓の伐採は、昆虫や鳥類にただちに影響を与える。この20年間に21種の野鳥が姿を消し、数も40%減少した」とあります。

伐採後にウラジロモミが植えられた国有林(水ヶ塚 標高1400m・1970年代)

 天然林を伐採した跡に造林された人工林のうち、標高1,200m以上のブナ・ミズナラ帯にはウラジロモミが多く植林されました。現在、間伐が行われていますが、ウラジロモミは木材としての利用価値がないといわれ、一部が燃料用のチップとして利用されているだけというのが現状です。ニホンジカによる樹皮への食害により荒廃が進んでいます。

ウラジロモミ人工林(旧須山口周辺)

 1958年(昭和33年)、天然林の伐採が進む中、南斜面の水ヶ塚桧丸尾溶岩流上に発達したヒノキ原生林の伐採が計画されました。この計画に、地元植物研究家渡辺健二氏は「貴重な森なので残すべき」として全国の学識者に手紙で保存を訴える活動をした結果、森は残されることになりました。現在は浅木塚ヒノキ群落遺伝資源保存林として保護されています。森の保護活動としては1964年(昭和39年)の日本初のナショナルトラスト運動以前のできごとでした。(写真下・標高1,400m 裾野市) 
渡辺健二氏の手記(水ヶ塚桧丸尾溶岩流ヒノキ原生林保存活動)

水ヶ塚桧丸尾溶岩流上の原生ヒノキ林