富士山はまだ若い活火山です。噴火の度に森は消滅しますが直ぐに新しい森へ再生が始まります。標高1700m以上の亜高山帯ではカラマツ、ミヤマヤナギ、ミヤマハンノキ、ダケカンバなどが進出して陽樹林を形成し、やがてシラビソやコメツガなどの陰樹林へと遷移してゆきます。標高800mから1700mあたりの夏緑樹林帯では溶岩流にはヒノキ、砂礫地にはカラマツなどの先駆種の森が形成され、樹木が世代を重ねてゆくとブナやミズナラなどの落葉広葉樹が中心の混交林へと遷移してゆきます。
 富士山では火山荒原、先駆種の森、遷移途上の森、遷移が進んで安定した森など、植物相が異なる森や草原がモザイクのように存在し、植物の垂直分布という要素も加わり、生物多様性に富んだ生態系が形成されています。

1707年の宝永噴火後、カラマツを先頭に標高2140mの第三火口まで森林が回復してきている

新しい溶岩流上にはヒノキが中心の森が形成されている(1100年~1200年前の水ヶ塚桧丸尾溶岩 標高1400m)

遷移が進みブナが中心の混交林が形成された(富士宮市 標高1300m)

針葉樹が混在する旧須山口の混交林(御殿場市 標高1400m・2010年)

 全国的にニホンジカの数の増加が問題になる中、富士山でも急激に数を増してきました。森に目立った被害が出ないのは1平方キロあたり3頭程度といわれる中で、2008年に標高1,200mの林道で行われた調査(NPO法人富士山クラブによる)では、30頭以上を記録。2015年の静岡森林管理署の報告によると80頭以上と推定されています。さらに富士山のブナ・ミズナラ帯のほぼ全域で90年振りにスズタケが枯れてニホンジカの餌が少なくなり、食害は林床の苔や草本植物、樹木の新芽、多種の樹皮に及び始めました。特に食害の激しいウラジロモミ、キハダなどの立枯れが急速に拡大しています。食害は森林限界、南東側の火山砂礫地、麓の林畑にも拡大しました。

樹皮を食べられて立ち枯れたウラジロモミ(富士市 標高1550m・2011年)

殆どのナツツバキの樹皮が食べられた森(須山口 標高1400m・2014年)

苔が減少しカニコウモリが見られなくなった小富士遊歩道(写真上=1991年6月 下=2017年6月)

積極保護が求められる植物群落保護林の実情 (富士山東臼塚低山帯植物群落保護林の天然ヒノキの樹皮被害 2019年5月)

 この地域にはかつて遊歩道が整備されていましたが、1996年の台風により遊歩道が倒木に塞がれて通行困難になりました。地元市民から裾野市を通じて遊歩道整備の要望が出され、市民有志から、ボランティアで遊歩道を整備を実施したいと静岡森林管理署に申し出たこともありましたが、管理責任等の課題があり再開は実現せず現在に至りました。
 遊歩道が塞がれて人が入らなくなった区域にはニホンジカが集まるようになり、樹皮の被害が急速に増えています。かつて地元市民の保護活動で守られた森とその周辺の被害が著しく、森に人がいないことがニホンジカの被害を拡大させているのが実情です。